Yuichibow’s diary

リージョナルジェット機の操縦席から外を眺めるお仕事をする人の日記

裕坊日記(2月10日)

米国航空会社で、米大陸東側を旅客機で飛んでいる、裕坊といいます。

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上の写真は、最近開発中止が正式に決まった三菱航空機製のスペースジェット。

 

開発が始まってから足掛け15年。2015年には初飛行も果たして、一定形の完成は見ていたはずでした。

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適合基準が厳しいことで知られるアメリカの連邦航空局の型式証明の取得に阻まれて、結局三菱が下した決断は、開発中止…

 

 

でも裕坊が思うに……

 

 

もっと戦略をしっかりと立てて開発に望んでいれば、結果は違っていたはず…

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何機か製造された試作機のうち、4機がアメリカの西海岸、ワシントン州モーゼスレイクを拠点にして試験飛行を繰り返していました。

 

試作機1号機の頃は機体強度が弱く、極限状態での安全飛行に問題があったのは事実らしいです。

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その後も重量バランスを改善するためにバッテリーの搭載位置を変えてみたり、様々な改良が続いたスペースジェット…

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写真は試作初号機。当時は三菱リージョネルジェットと名付けられていました。

 

1番の障害になったのは、航空界に詳しい方であればよくご存知の、「型式証明」と呼ばれる安全基準に適合していることを証明する書式の取得でした。

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実はこの「型式証明」の取得、現在はビジネスジェット機のベストセラーにもなっている「ホンダジェット」でも、かなりの苦労を経験した経緯があります。

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確かにアメリカ連邦航空局の安全基準はかなりハードルが高く、取得が難しいのは承知の上だったはず…

 

しかし裕坊が思うに、今回の型式証明が発行に至らなかった経緯には、アメリカによる政治的な思惑も見え隠れしている気がして仕方がない…

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考えすぎかも知れませんが……

 

 

そもそもこの新型旅客機の開発とは、全日空からの発注というのがきっかけだったはず。
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まずは日本の地方路線に特化した旅客機、という位置付けの元で開発するという発想に何故ならなかったのか……

 

このスペースジェットの開発中止の正式決定の発表は、まだ『日本の戦後』は終わっていない、ということを実感した瞬間でもありました。

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上の写真は第二次世界大戦で大活躍した、「ゼロ戦」こと、三菱零式戦闘機。

 

戦後、連合国は東京に総司令部を設置(進駐軍とも呼ばれていた時期もありました)。

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社会科の教科書にも載っていた、連合国軍占領時代の総司令官、ダグラス・マッカーサー氏。
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日本軍が誇った戦闘技術に畏怖した連合国軍総司令部は、憲法を書き換えて日本の再軍備を阻み、

 

航空機技術の高さに震え上がった体験から、航空機製造の禁止条項までをも制定しました。

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終戦時に残っていた航空機は全て解体させられ、航空機製造会社は全て解散、航空機製造に纏わる書類は全て破棄させられることに…

 

戦後の1945年から1952年までの7年間、航空機の製造に関わる活動が一切禁止されることになります。
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いわゆる日本の航空機製造にとっての『空白の7年』が、ここで起こってしまったのです。
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航空機製造禁止条項が解かれたあと、昭和30年代後半には当時の技術師などが集って、国産のプロペラ旅客機「YS-11」型機を作り上げ、一時は日本の地方路線に多く投入されましたが、航空機製造禁止期間の7年はあまりにも長すぎました…

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既に欧米では耐用年数を踏まえた合理的な設計がなされていた時代にあって、過度なまでの安全性を確保した機体に特化…

 

そのため重量があまりにも増えすぎて、出力が限られるエンジンに対して重すぎる、超アンダーパワーな機体になってしまったそうです。「クラウンの車体に、軽自動車のエンジンを乗せたような飛行機」と揶揄されることまでありました。
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赤字を垂れ流すことにはなってしまったものの、それでもYS-11は何とか実用にまでは漕ぎ着けました。

 

スペースジェットも、仮に利益が確保できなくとも国内における航空機製造技術の浸透を目的とした上で、まずは国内専用の小型旅客機として位置付けた上で開発し、

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YS-11と同様、国内での型式証明の取得に視点を据えていれば、結果は違ったものになっていたはず……既に全日空だけでなく、日本航空からも受注はあったのですから。
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米国内の地域航空会社からの受注もあったとはいえ、なぜローンチカスタマーが日本にいる状況にありながら、アメリカでの型式証明の取得にこだわる必要があったのか…

 

どうしてもそこだけは、腑に落ちません。
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資源を持たない日本にとって製造業とは、国の存亡にも関わりかねない重要な産業の1つのはず…

 

型式証明の発行に関しては、当事国の思惑も絡んでいたものと想像します。少々狡賢いと思われようとも10年先を見据えた上で、製造技術だけでなく歴史的、政治的背景も探った上で開発を進めて欲しかった…
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航空機製造の歴史だけでも踏まえていれば、恐らく結果は全く違ったものになっていたはず…

 

 

ただひたすら、本当に残念です。

 

 

2月前半の裕坊のスケジュールは、日帰りだったり2日勤務だったり、超短期のものばかり…

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土曜日はセントルイスへの往復便だけの、日帰り勤務です。