皆さんこんにちは、リージョナル航空会社社員、裕坊です。
一昨日に5日間のフライトを始めて、今日は3日目。怒涛の2日間を終えて、今日は中休み。テキサス州のサンアントニオで、連続30時間、2夜連続の宿泊で、今回はダウンタウン近くのホテルに滞在。テキサス州でも2番目の観光地で知られるサンアントニオを散策してきました。
サンアントニオといえば、『アメリカのベニス』とも呼ばれるリバーウォークが何といっても目玉。幸いホテルのすぐ横から、リバーウォークへと降りられるので、そこからお散歩……
元々の開発の契機になったのは、実は1921年に起こったという大洪水だったらしく、
市内に甚大な被害をもたらしたために、サンアントニオ市議会はこれを機に、
治水、灌漑の整備を推進した、ということらしいです。こちらがリバーウォーク全体の案内版……
但しこの地図だと、右側が北を指しているので、ちょっと見づらいかも……
ここサンアントニオには、他にも見どころがあるので、ちょっとリバーウォークを離れて、上へと登ってみました。
上へと上がると、ダウンタウンを見学できる、ロンドンバスを思い起こさせるような2階建てバスも………
ほんの少し歩いて行くと、白い建物が目の前に……
アラモの闘いの拠点ともなった、アラモの砦。
元々は地元民をキリスト教に改宗させる為に、1718年にスペイン神父によって建立された修道院だったらしいです。1724年のハリケーンで、現在の位置に移転。
やがて修道院としての役目を終えた、アラモ。
メキシコのスペインからの独立後、テキサスにおけるメキシコの独裁政治に対して、テキサスの自治権を求める機運が高まるようになり、テキサスは義勇軍を結成。1835年12月にメキシコ軍を破り、アラモを奪って、そこを拠点にしたそうです。
その戦果を聞いたサンタ・アンナは怒り狂い、メキシコは4,000人からなる大軍をサンアントニオに送り込んだそうです。そこから始まったのが13日間に渡るアラモの闘い。
189人からなる義勇軍は、完全劣勢を強いられながらも、大善戦。
最後は敗れてしまったものの、メキシコ軍は甚大な被害を被ったそうです。その後、予想以上のダメージを受けたメキシコ軍は、アラモの闘いから46日後、ヒューストン将軍率いるテキサス軍に壊滅させられ、これによりテキサスは独立、「テキサス共和国」が誕生することになりました。(その9年後には、テキサス共和国はアメリカ合衆国に併合)
この分厚い壁が、その当時の激しい闘いを思い起こさせます。
こちらはクロケットホテル。アラモの闘いで命をかけた、189人の志願兵のうちの1人、元テネシー州下院議員「デイビッド・クロケット」に因んでいます。
そのすぐ先には、クラシックな装いのメンガーホテル。
昨夜、裕坊が乗っていたシャトルバスの目の前を通り過ぎた、シンデレラ馬車の姿もありました。
再びリバーウォークへと入り、
ダウンタウンの南東の端にある、タワーもちょこっと眺めたりして、
今度は一路、西を目指してみました……
ガイドブックなどにもよく載っている、目抜き通り。
こちらは、いくつかに分かれている水路の交差点。
そこをひたすら西へ西へと歩いて行くと……
こちらがほぼ西の水路の終点……
ゆったりの雰囲気のカフェの横を通り過ぎて、
通りを歩いて行くと…………
なんか、空の色と同化して見える………
ウケを狙っているのかも知れん…………
さらにダウンタウンを西の端まで歩いて行くと、そこにあるのは………
メキシカンマーケット…
名前はマーケットスクエア…スペイン語では「エル・メルカド」というそうです。
実はテキサス州内の、最大規模のメキシカンマーケットなんだそうです。
リバーウォークやアラモの砦では、ほとんど英語しか聞こえてこなかったのに、ここはまさにメキシカン………
聞こえてくるのは、ほとんどスペイン語…………
同じ町の中とは思えないくらいの変わりよう……
タコスなどの露店なども、出ておりました。
こちらが、「エルメルカド」
中へと入ってみると………
メキシコやわ〜〜……………
さらに西へと歩いて行くと……
また別のマーケット。こちらは「マーケット・プラザ・ショップス」となっておりました。
こちらもお土産屋さんがいっぱい……
アメリカの中では、比較的歴史も長いサンアントニオとあって、古い教会などもあります。
こちらは裁判所。この建物にも、趣があります……
そしてまたしても戻ってきた、リバーウォーク……
そのあとはひたすら、水の奏でる景色を、存分に楽しみました。
1929年に着工したというこのリバーウォーク………
一帯には商店も建てられ、新たな中心街になっていたらしいのですが、
モータリゼーションによる市内の空洞化が一時は顕著になって、
しばらくはゴーストタウンになり、浮浪者の溜まり場になっていた時期も、あったんだそうです。
事態を重く見た市は、1963年に再開発のマスタープラン、『川の遊歩道(パセル・デル・リオ)』計画を打ち立て、再生に取り組んだのだとか……
1968年には「サンアントニオ国際博覧会」も開催されて成功。
全米からの関心を集めるようになり、その後はレストラン、コンベンションセンター、劇場、ショッピングモールなどが相次いで建設されて、文化的拠点にもなったらしいです。
このリバーウォークの中でも目抜き通りといえば……
この地図でいうと、ちょうど3つの水路が合流する地点から、北へと上った通り。
数多くのレストランが点在し、川の流れを楽しみながら、ゆったり気分でお食事をすることも可能。
中にはメキシカンミュージックを聞かせてくれるサービスがあるところも……
ゆったりとした流れの中で、ゆったり気分で川下りなどもできます。
船の色も、色とりどり……
その船が行き交う姿を目に焼き付けながら……
再びホテルまで、戻ってきました……
本当は夜のリバーウォークの写真も収めたかったのですが、明日はまた3時起きですので、またそれは次回………
明日はミネアポリス経由で、こちらも川がある町、オハイオ州のシンシナティを目指します。