Yuichibow’s diary

リージョナルジェット機の操縦席から外を眺めるお仕事をする人の日記

裕坊、51になりました

アメリカの航空会社で、小型機の操縦士を務める、裕坊と申します。こんにちは。

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旅客航空需要が激減して、ここのところお休みをいただく日の方が増えています。今日日曜日もお休み……

 

そして今日日曜日、裕坊は51歳になりました。もうそんなに生きとったんやなぁ〜、というのが正直な印象。まだ気分は30代くらいなのに……ただ体は正直です。徹夜なんてできなくなりましたし、夜は5時間もすると目が覚めてしまい、10時にベッドに横になった日などは朝3時に勝手に目が覚めてしまっていたりします……

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でも早く目が覚め過ぎると、これまた1日体が持たない……

 

ほとんどの航空会社では、主要空港ですとクルーがお忍びで仮眠を取ったりできる専用のラウンジがあるのですが、

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地方の空港で長時間の折り返しが入ったりすると、乗客の皆さんの目を盗む場所も限られてしまいますので、
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たまにこんな光景に出くわしてしまったりします。こんな時は、朝5時の空港ショーアップに備えて、かなり朝早く起きていたりするので、そっとしておいていただけると助かります。

 

操縦中こんなことになるのは、避けなくてはいけません……

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まだテネシー州のメンフィスに本社があった頃(現在は、ミネソタ州ミネアポリスへと本社は移転しました)に今の会社に入社して以来ほぼ14年。あっという間に時間が経ってしまいました。

 

エアラインのパイロットになる方法は、本当に様々。
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日本航空全日空は、ほとんどが自社養成の採用。大学卒業時、もしくは航空大学の新卒時のタイミングで採用面接を受けて、採用されればパイロットのトレーニング費用などは全て会社負担で、訓練を重ねていきます。ドイツのルフトハンザ航空などでも同じ方法を採用。英語では一般にアブ・イニシオ(Ab Initio)と呼ばれ、パイロット本人は訓練費用をほとんどの場合負担しなくていいタイプの訓練方法……アブ・イニシオとは元々ラテン語で、最初からという意味があり、物理学などで演算などを始めからする行う場面などでよく使われる単語だそうです。

 

ただこの方式の場合、競走倍率が極端に高い採用面接を勝ち抜いていかなくはなりません……

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アメリカでもコロナ渦以前はパイロット不足が叫ばれ、ここ数年は同じような採用方法を探る動きがありました。ただアブ・イニシオ方式が今後アメリカで本格的に導入されるかどうかは、今後の航空需要次第……アメリカの航空会社の場合、今年10月以降にかなり余剰人員が出る見込みで、むしろ人材を削減しなければいけない状況にありますから、将来的に導入されるとしても、しばらく先送りになるものと思われます……

 

一般的なのは、自ら訓練費用を支払って操縦士免許を取得し、各航空会社が定める要件を満たして応募するというやり方…
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自家用操縦士免許(アメリカではPrivate Pilot Certificateと呼ばれます)、事業用操縦士免許(Commercial Pilot Certificate)、計器飛行証明(Instrument Ratingと呼ばれ、視程が低い時、雲の中を合法的に飛行することが可能になります)などを取得し、一定の飛行時間(1,500時間が最近の標準になっています)に達すると、履歴書を各航空会社に提出。

 

事業用操縦士の免許までは平均的に300時間前後で取得できてしまいます。

 

問題になるのは、その後……

 

旅客航空会社での採用基準の1つとなる飛行時間は、最低でも1,500時間。そこまでの経験値をいかにして積んでいくかに、各パイロットとも腐心することになります。最も一般的なのが、飛行教官の免許(CFI:Certified Flight Instructorと呼ばれます)を取得し、自らが学んだフライトスクールで、学生たちを教えながら自らも飛行時間を稼いでいくというやり方……

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裕坊も自ら学んだフライトスクールに残って、2年ほど学生と同乗しながら飛行時間を貯めていく日々を送りました。

 

当時のフライトスクールの事務所。かつて存在したコムエアーというリージョナル航空会社の子会社でした。

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名前もそのままコムエアー・アビエーション・アカデミー。ディズニーワールドがあるフロリダ州オーランドから、フリーウェイ4号線を北東へ行くこと、およそ30分ほどのところにあるサンフォードという町の空港に、訓練施設があります。

 

何度か所有者が変わったりするなどで名称も変わり、現在ではエアロ・シム・アカデミーになりました。

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こちらは4年前に訪れた時に撮影した写真。

 

今から15年前の2005年5月24日(火)といえば、こちらの学校でひたすら学生を教えながら、飛行時間を稼ぐ日々。裕坊が36回目の誕生日を迎えていた日、ちょっとしたハプニングがありました。

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フロリダ州は5月になると真夏と同様のお天気になることも珍しくなく、今日日曜日の気温を調べてみても29度。15年前の今日も同じように気温が30度越えで、しかも入道雲がお昼過ぎから上がる、とても不安定なお天気……校舎の周りを積乱雲が囲んで、小型のプロペラ機を使った飛行訓練にはあまり適さない状況。その日は飛行訓練を中止して、学生たちの学科試験、口頭試験に向けての対策に臨んでいたのですが……

 

そのうちに聞いたことがない風が建物を叩きつけるような音がして、外を見ると………

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初めて体験する大嵐。マイクロバーストと呼ばれる怒涛の勢いの下降気流が起こり、その時裕坊がいた校舎を横殴りに叩きつけていていました……校舎は元々海軍パイロット訓練用に建設されていた建物で、煉瓦建てで外壁には窓が全くない構造。そのため、校舎の中にいた私たちは安全でケガ人等も全く出なかったのは幸いだったのですが、風の勢いは半端ではなかったようで、

 

訓練用の軽飛行機は何機かひっくり返される事態に……

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その中には慌てて飛行訓練からフライトスクールへと戻ってきていた飛行機もあり、生徒1人と飛行教官1人が乗っていたのですが、2人とも無事だったのは、不幸中の幸いでした。

 

実はその当時、2ヶ月早産で息子を産んでいた愛妻ちゃんは、日本で子育て真っ最中。夕方なのにすっかりと外は暗くなっていて、心細い思いをしていたのですが、その思いを話せる相手もおらず、気分はどんより………

 

その日は火曜日。裕坊が務めていたフライトスクールでは、毎週火曜日に飛行教官全員を集めてのミーティングがあり、雨がまだ降っていて気分も晴れない中でのミーティングに臨んだのですが……

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実はミーティングの最後になって、思いもよらぬサプライズ。

 

ずっと裕坊の働きぶりを高く評価してくれていた上司の強い推薦で、その月の月間最優秀教官賞を受け取ることに……

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独り身だったとあって、ほぼ1週間7日体制で生徒を教えていたのですが、心から報われた気持ちになった1日でした。今も忘れることができない、15年前の思い出です。

 

 

次の4日間のフライトへの出発まで、まだ数日。羽休めを続ける日が続きます。