Yuichibow’s diary

リージョナルジェット機の操縦席から外を眺めるお仕事をする人の日記

裕坊、また出勤

皆さんこんにちは、航空会社フラリーマンです。

昨夜一旦愛妻ちゃんの元へと帰ってきて一晩を過ごし、また次の出勤へと備える裕坊。我が家には女の子はいませんが、ひな祭りということで、ちょっと贅沢な海鮮物たっぷりののり巻きで英気を養い、3日目の仕事に備えます。今日はデッドヘッド一本だけで直接の担当便はなし。一昨日泊まっていたオハイオ州シンシナティが目的地。

裕坊が住むデトロイト近辺は自動車産業のおかげで在住日本人家族も多く、日本語と英語を両立させた学校があります。息子くんは開校時の一期生。開校当時は人数も少なく、生徒の数はやっと10人ほど。保護者が集まって日本でいうPTA、父兄教員の会みたいなものを立ち上げ、生徒の数を増やすのに手を替え品を替えの日々。一時はその父兄会の会長まで勤めた裕坊。他の保護者の皆さんとあちこちを駆け回りました。

1年半ほどボランティアにエネルギーを費やし父兄会の役職を退いたそのわずか数ヶ月後、我がリージョナル航空は破産法11条を申請。ニューヨーク裁判所の管轄下に置かれることに。給料は3割下がり、裕坊はそれまで所属していたデトロイトを離れ、ケネディ空港へと配置換え。1ヶ月のうちデトロイトには3日ほどしか戻れない、実質の単身赴任生活が始まります。当然のことながら、ボランティア活動とも疎遠になることに。

1ヶ月ほど300ドルほどを出し合い、アパートを他のクルーと共有する間借り生活。業界用語でクラッシュパッド(crash pad)と呼びます。クラッシュとは普段は衝突とか激突という意味で使われる単語。派生的にベッドの上に激突するところから、疲れ過ぎて寝るという意味でも使われます。padは共有生活を営む生活の場。つまりアパート。アメリカでしか使われることがない、かなりレアな業界用語。

裕坊のかつて住んだ宿舎はニューヨークのハドソン川の東に位置するクイーンズと呼ばれるヒスパニック系、中南米からの移民が多く住むスペイン語が飛び交う住宅街の一角にありました。狭いスペースを効率よく使うための工夫として地下を作るのが普通のニューヨークのクイーンズ。タウンホームと呼ばれる何軒かの家が続きになった建物の地下の一室が裕坊のアパート。

狭い地下のアパートには4つの部屋。天井が低く、背の高い男性は屈んで歩かないといけません。それぞれの部屋には2段ベッド。裕坊の寝室にも2つ。部屋の大きさに応じて2段ベッドが並べられ、合計その数9つ。全員がそこで寝泊まりすると、狭い部屋に航空会社のクルーが18人。さすがに18人が全員一晩を共有したことはありませんでしたが、破産法下にある航空会社のリザーブのクルーを多く抱えていたとあって、10人くらいが一晩に集まることはザラでした。

築100年を優に超える年代物の建物。換気扇のような最新設備はなし。1人がシャワーに入ると当然のように湿気が浴室にこもります。浴室にその湿気がいつまでも残り、夏の暑さがアパートにも降りてくると、当然のように浴室には黒いシミがあちこちに湧いてきます。衛生状態もいいはずがありません。

1年半の辛抱のあと、やっとのことで破産法下から抜け、裕坊が再びデトロイトの配属となってミシガンへと戻ってくるのにほぼ2年を要しました。愛妻ちゃんも息子くんも本当によく我慢してくれました。ちなみにそのアパートを引き払う際、お手伝いに来てくれた愛妻ちゃん、3分と中に留まることが出来ず、ほぼ窒息状態になって外に避難し深呼吸…………裕坊ってそんなとこに2年も住んでたんだね…………………

今日は息子くんの小学校の当時のボランティアが多く集まる集いも開催されますが、日曜日にお休みが取れず、そちらには参加できず。それでも家から車で仕事に通えることに感謝し、オハイオ州シンシナティへと向かいます。

 

 

裕坊